追いかける生首、蘇我入鹿にまつわる伝説

追いかける生首、蘇我入鹿にまつわる伝説

奈良県は、古墳時代から奈良時代まで日本の首都として栄えたので、数々の遺跡が存在しています。

今回紹介する伝承は、飛鳥時代に起こった歴史の一大事件、乙巳の変から大化の改新にまつわる、橿原市小綱町に残る話です。

はねられた蘇我入鹿の生首にまつわる話

藤原鎌足と中大兄皇子が宮中で蘇我入鹿の首をはねた乙巳の変、そのはねられた首は藤原鎌足を追い回し、奈良県の各地に逸話を残しました。

例えば談山神社の近くには、逃げてきた藤原鎌足が「(入鹿の首は)もう来ぬだろう」とつぶやいたとされる蒙古の森や、有名な観光地となっている入鹿の首塚などです。

そして最終的に、はねられた首は、蘇我入鹿の出身地付近の、今の奈良県橿原市小綱町へと飛んできたと言われています。

橿原市のとなり、観光で人気の明日香村には、藤原鎌足の母の出身地である小山という集落があり、橿原市小綱町と明日香村小山では、なんと乙巳の変から後、1400年近く一度も縁組みが行われたことがないそうです。

また、蘇我入鹿は鶏鳴の会図で首をはねられたので、どこの家でも鶏を飼っていたような時代でも、小綱町では鶏を飼うことをしなかったそうです。

蘇我入鹿と色々な神社

さらに、小綱町の出身者が、藤原鎌足を神として祀っている奈良県桜井市の談山神社へ参るとお腹を壊すと言われています。

小綱町には、今でも蘇我入鹿を神として崇めた入鹿神社が鎮座しています。全国で蘇我入鹿を祀っているのはここだけです。

明治時代になって、皇国史観に基づき、逆賊とされた蘇我入鹿を神として祀るとは不都合があると、祭神を蘇我入鹿からスサノオノミコトに、名称を入鹿神社を小綱神社にせよと、政府の要人が来て言われたにも関わらず、小綱町の住民は頑なにこの提言を拒否したそうです。

入鹿神社には、蘇我入鹿の木造坐像まで現存しています。まさに神です。

悪者のイメージがつきまとう蘇我入鹿ですが、小綱町では特別扱いされ、思いのほか奈良県では愛されています。橿原市には、小綱町のとなりには曽我町もあります。

写真は Amber AvalonaによるPixabayからの画像

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